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平安時代の婚礼装束:十二単(女房装束)と束帯

婚礼装束の歴史を遡ると、時代ごとに変容していたことが窺い知ることができます。平安時代の貴族社会では、女性は十二単(女房装束)、男性は束帯を着用しました。この十二単と束帯という装束は、現代のような特定の「婚礼専用着」ではなく、儀式用の最高正装であるとともに、公の場の第一礼装として用いられている装束でした。

鎌倉時代:白無垢の源流と小袖の登場

現代のように、婚礼装束にある種、特殊な意味合いを込められ着用されるようになったのは、鎌倉時代だとされています。鎌倉時代は、現代の和装婚の象徴である「白無垢」の原型が生まれた時期とされています。また、平安時代の重厚な十二単(女房装束)が簡素化され、内着であった「小袖」を表着として着用し、その上に袴を履くスタイルが武家女性の正装(袿袴姿)として定着しました。さらに、この時代にが婿の家へ向かう道中、頭から衣服を被る「被衣」の習慣があり、これが後の「角隠し」の起源の一つとされています。男性の装束も変化があり、武士の台頭により、男性の婚礼装束も活動的なものへと変わりました。本来は庶民や下級武士の日常着であった直垂が、鎌倉時代には武士の正装へと格上げされました。婚礼などの儀式でも、この直垂に烏帽子(えぼし)を合わせた姿が一般的でした。 

室町時代:白無垢の確立と色直しの登場

室町時代は、足利幕府によって武家の礼道(作法)が整えられ、現代の和装婚礼の基礎となる形式が確立された重要な時期です。現代でも最も格の高い婚礼衣装とされる「白無垢」は、室町時代の武家社会でその形式が固まりました。白打掛はその代表で、小袖の上に、さらに「打掛」を羽織るスタイルが登場しました。当時は幸菱(さいわいびし)文様などの白い表着に、白い打掛を重ねる全身白の装いが上流武家の正装でした。また、室町時代、婚礼の儀式は数日にわたって行われ、その過程で衣装を替える「色直し」の風習が広まりました。最初は「白」で身を清めて嫁ぎ、式の後半(4日目など)に婿側から贈られた「赤」などの色物の衣装に着替えることで、相手の家風に染まったことを示しました。女性の装束が変容を見せるなか、男性の装束は、直垂が武士のフォーマルウェアとして定着し、以前として、婚礼儀式でも用いられました。

江戸時代:女性の装束の多様化と豪華さ

江戸時代は、武家社会の作法が庶民にも広まり、現代の和装婚礼に見られる「白無垢」「色打掛」「引き振袖」の原型や、華やかな「お色直し」の文化が花開いた時代です。身分や経済力によって装いが分かれましたが、現代に通じる主要な形式が整いました。室町時代の白打掛に対し、江戸中期以降、裕福な武家や商家の間で金箔や豪華な刺繍を施した色鮮やかな色打掛が流行しました。また、江戸後期には、武家の正式な婚礼衣装として「黒引き振袖」が用いられるようになりました。

白無垢が「嫁ぎ先の色に染まる」意であるのに対し、黒は「他の色には染まらない」という不変の決意を象徴する格調高い装いとされました。さらに、儀礼として、白・赤・黒の振袖を3枚重ねて着る習慣もあり、これが究極の正装とされました。男性の婚礼装束も、現代に続く形式へと固まりました。江戸時代、武士の準正装であった紋付(家紋入りの着物と羽織)に袴を合わせたスタイルが、庶民の間でも礼装として広まりました。現代の男性が結婚式で着用する第一礼装の原型です。